英国ニュースダイジェスト
イギリス生活情報誌、英国ニュースダイジェストにて、音楽の祭典プロムスで演奏される名曲を生んだ作曲家のエピソードを連載コラム “名曲の裏に作曲家の人生: プロマーのひそひそ話” で紹介しています。
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今週はドイツ音楽の巨匠、ブラームスに焦点を当ててみますね。それも、彼が経験した苦悩の恋についてです。
ブラームスが20歳の時に、同じく19世紀における音楽の巨匠であったシューマンと、その妻クララに出会いま
す。やがてシューマンが病に倒れてしまい、彼の家族の世話をすることになったブラームスが、14歳も年上であるク
ララを愛するようになるまでに、そう長い時間はかかりませんでした。
人妻であったクララ、そしてシューマンの死後は未亡人となったクララを愛したブラームスは、その状況から逃げ
るためか、別の女性と婚約にまで至りますが、「自由な作曲活動の妨げになる」という理由で一方的に破談にしたり、
クララの娘に淡い思いを持ち続けたりします。苦悩は時に理性を奪い、人を不可思議な行動へと導きますね。
有能なピアニストで、また作曲家としての才能を持ち合わせたクララの存在は、彼の音楽活動にも影響を与えま
す。彼の作品に対して様々な助言を与えていたとのこと。ブラームスがクララと出会って以降、彼女の目を通さずし
て世に出た作品は、彼女の死後に書かれた2曲だけです。
さて、今週注目したいのが交響曲第3番*(65)。イタリア、ドイツ、オーストリアへと避暑に出掛け、美しい自然の中で彼は心を開放し、何時になく軽快な曲を書いています。また今年のプロムスで既に演奏されましたが、交響曲
第4番(38)は円熟期の作品と言われ、同時代の作曲家リヒャルト・シュトラウスは、「巨人のような、天才的構造を
持つ音楽」との賛辞を残しています。
ブラームスの音楽に耳をすませば、彼がクララに抱いていた複雑な思いの一端に触れることができるかも知れ
ません。
バッハは中世から始まった音楽一家の3代目に生まれ、2度の結婚で7+14=21人もの子供をもうけます。クリスマ
スには親戚120人程が集ったり、250年の間に60人もの音楽家を輩出している一族です。代々引き継がれた音楽的な
素質もさることながら、職業を選べなかった時代背景もあるのでしょう。
バッハ一族のゆかりの土地で、18歳にしては異例に高い報酬を提示され、念願の教会オルガニストとして働き始め
ます。この頃に休暇を利用して、どうしても聴きたい音楽会に赴くために400キロも離れた所へ歩いて行った挙句、
その帰りが予定より大幅に遅れたという伝説が残っています。こうしたバッハの積極的な言動が各方面に波紋を
呼び、聖職会議と対立し、辞職することに。しかし、行動的な彼はすぐに同じような職業を得て着々と実力を付け、38
歳でライプツィヒの聖トマス教会のオルガニストに就任します。
ヨハネ受難曲(51)は、その聖トマス教会での復活祭に演奏することを想定し作曲されたにも関わらず、引越しの
手続きが遅れたために聖ニコライ教会での初演となります。その後、彼自身によって改訂・演奏され続けていきま
すが、最後には初版とほぼ同じ形に戻り、それが現在演奏されている曲です。
「大バッハ」と言われる所以は、この一族で最も数多く偉大な作品を残していること、そして当時「近代音楽の父」とまで言われるようなフーガや数学的音楽ともいえるシンメトリーに書かれた曲・構想の作品があるからでしょう。現在のように非常に高く評価はされなかったと言うものの、宮廷・教会・市民の支援に支えられ、才能・情熱・職業・家族にも恵まれた幸運な人生を送った作曲家です。
トリノ冬季五輪の開幕式で歌われた「誰も寝てはならぬ(トゥーランドット)」、同大会のフィギュア・スケート女子の自由演技で安藤美姫選手が使用した「ある晴れた日(蝶々夫人)」などの曲に見られる、叙情性たっぷりの旋律を残したプッチーニは、自身を「野鳥やオペラの台本、美しい女性の偉大なるハンター」であると語っています。
彼の生涯の妻となるエルヴィーラ(この名はオペラの世界では強い女の代名詞です)は、もともと彼の友人の妻でした。 ところがプッチーニからピアノを習っているうちに恋仲になった彼女は、子供を連れてプッチーニのもとへと走ります。
2人の関係は、まさに波乱万丈。 プッチーニは若い女性コリンナに現うつつを抜かして求婚までしますが、このコリンナが他の男性と現代で言う「援助交際」をしていたことが探偵の調査で発覚し、彼は破談を言い渡します。 その後プッチーニが車の大事故に遭い、まさにその次の日に偶然にも夫を亡くしたエルヴィーラの手厚い看護を受けることとなって、2人は結婚に至ります。
結婚後のエルヴィーラの嫉妬深さは相当なもの。 夫が若い女中と浮気をしていると責め立てたことで、その女中ドリアが服毒自殺を遂げるという事件が発生しているぐらいです。 しかも解剖の結果、ドリアは無実と判明し、彼女の家族からエルヴィーラは起訴されて、プッチーニが多額の保釈金を払ったとの三面記事が残っています。
プッチーニのオペラに登場するヒロインは、彼が実際に恋に落ちた女性をモデルとしたものがほとんど。 しかもそのヒロインが最後は愛をあきらめ去るか、自殺してしまう作品ばかりです。 オペラ作品を通じて、妻エルヴィーラへ復讐しているということなのでしょうか。
トリノ冬季五輪の開幕式で歌われた「誰も寝てはならぬ(トゥーランドット)」、同大会のフィギュア・スケート女子の自由演技で安藤美姫選手が使用した「ある晴れた日(蝶々夫人)」などの曲に見られる、叙情性たっぷりの旋律を残したプッチーニは、自身を「野鳥やオペラの台本、美しい女性の偉大なるハンター」であると語っています。
彼の生涯の妻となるエルヴィーラ(この名はオペラの世界では強い女の代名詞です)は、もともと彼の友人の妻でした。 ところがプッチーニからピアノを習っているうちに恋仲になった彼女は、子供を連れてプッチーニのもとへと走ります。
2人の関係は、まさに波乱万丈。 プッチーニは若い女性コリンナに現うつつを抜かして求婚までしますが、このコリンナが他の男性と現代で言う「援助交際」をしていたことが探偵の調査で発覚し、彼は破談を言い渡します。 その後プッチーニが車の大事故に遭い、まさにその次の日に偶然にも夫を亡くしたエルヴィーラの手厚い看護を受けることとなって、2人は結婚に至ります。
結婚後のエルヴィーラの嫉妬深さは相当なもの。 夫が若い女中と浮気をしていると責め立てたことで、その女中ドリアが服毒自殺を遂げるという事件が発生しているぐらいです。 しかも解剖の結果、ドリアは無実と判明し、彼女の家族からエルヴィーラは起訴されて、プッチーニが多額の保釈金を払ったとの三面記事が残っています。
プッチーニのオペラに登場するヒロインは、彼が実際に恋に落ちた女性をモデルとしたものがほとんど。 しかもそのヒロインが最後は愛をあきらめ去るか、自殺してしまう作品ばかりです。 オペラ作品を通じて、妻エルヴィーラへ復讐しているということなのでしょうか。
昨年12月に他界したドイツの作曲家シュトックハウゼンは、20世紀を代表する作曲家の一人として、そして「人
間ではなくシリウス星人だ」とも言われるような奇抜な発言と音楽性で知られています。「過去700年の音楽史よ
りも、私が半世紀で成し遂げたことの方が多い」と豪語したり、2001年9月11日米国ニューヨークでの同時多発テロ
を「過去最高の芸術作品である」と賛美するなどの過激な言動で、周囲の人たちの度肝を抜いてきました。
幼い頃は家族愛に薄かったようで、そのせいか結婚2回で子供6人、愛人2人と、楽しく忙しい私生活を送っていま
す。ドイツでピアノと音楽理論を勉強し、もともと古典・伝統を基本に作曲していた彼は、第1回目に紹介したメシ
アンの音楽を聴いた瞬間から何かが芽生えたらしく、24歳でメシアンを師とするためにパリに赴き、音と空間を最大
限に生かした音楽を探求していきます。
彼の音楽は、はちゃめちゃな感じのものが多いのですが、実は音色と音量のバランスにはかなりの気が使われて
います。また何度か日本を訪れ、邦楽や神社、水汲みの音までも曲に取り入れています。
グルッペン(20)*は現代音楽のランドマークと言われるほど高い技術・創造性を駆使した作品です。そして、チューニング(21)は6人の声で創り出し得る限りの音でまとめた、不可思議なハーモニーを持った曲。
近代・現代音楽を何となく敬遠してしまうのはどうしてでしょう。一瞬で自分の趣味かどうか視覚で捉えること
ができる現代美術と、曲が終わるまでの長い時間、耳で聴いて分析するという音楽。これらの違いがあるからな
のかも知れません。でもあまり深く考えず、めったに聴けない音楽を試してみてはいかがでしょうか。
ロマンティックな音色で人気の作曲家ラフマニノフですが、彼がすごく大きな手を持つピアニストでもあり、また
厳しい指導で知られる指揮者として活動しながら、うつ病に悩んでいた、と知ったら驚くでしょうか。今回は、そんな
彼が経験した挫折とそこからの復活についてです。
まだ学生だった頃に作曲した作品が、ピアノ協奏曲第1番(10)*。初演ではラフマニノフ自身がピアノを弾いてい
ます。学生時代からピアノや作曲のコンペティションで金賞を受賞するほどの優秀振りを発揮していたようです。
ロシア音楽界の先達であったチャイコフスキーが亡くなった際には大きな衝撃を受けたようで、その時の気持ち
を主題とした作品をいくつか残しています。ところがそのうちの一つである交響曲第1番(34)は、とある指揮者の
放漫によって適当に演奏された挙句に批評家に酷評されるという散々な結果に終わりました。またラフマニノフはい
とことの結婚を望んでいたのですが、いとこ同士の結婚はロシア正教会に了解を得なければならず、この許しがなか
なか下りなかったことなどが精神的ストレスとなり、神経衰弱と完全な自信喪失を引き起こして、その後3年ほど曲が
書けなくなります。
この時期に大きな貢献を果たしたのが、精神科医でアマチュアのチェロ奏者であったニコライ・ダーリ。彼はラフマニノフに3カ月間「素晴らしいピアノ協奏曲を書く」という自己暗示療法を用いて、出世作となるピアノ協奏曲第2
番(69)が誕生するまでの手助けを行います。この初演もラフマニノフ自身がピアノを担当し好評を博した結果、作
曲家としての名声を確立しただけではなくピアニストとしても尊敬を集めました。そして役は自信を取り戻し、つい
に鬱を乗り越えたのです。
今年生誕100年を迎えるメシアン。知る人ぞ知る彼の人生を、さらっとたどってみることにしましょう。
文学的教養豊かな両親から生を受け、学生時代に4000冊もの本を読破したおませな彼は、10歳から11年間コンセル
ヴァトワール(パリ国立高等音楽学校)で学び、22歳でパリのサン・トリニテ教会の主席オルガニストに抜擢され、
亡くなるまで60年以上オルガンを弾き続けます。彼の即興演奏は、瞬く間にパリ中の話題になったそうです。
幸せの絶頂期、クレア(ヴァイオリニスト)と結婚。一人息子パスカルの誕生が、元々敬虔な信者であった彼にカ
トリック教義に根ざしたオルガンのための大作、昇天(6)*、永遠の教会の出現(42)などを書かせています。また第
二次大戦中にナチスの捕虜になった際にも自由精神を忘れず時の終わりの為の四重奏曲(67)を作曲、たまたま同じ収
容所内にいた楽器奏者と共に初演を果たしました。
オーケストラ作品で外せないのが、トゥランガリラ交響曲(64)。彼に興味を抱かせたインドのリズム、ギリシャの旋律を取り入れ、これを機にエキゾティック名作風に突入。
リズムの創作者といわれる所以でしょう。電子楽器を使った怪しげな音が特徴的な一曲です。夏の夜に最高!
クレアの病死後、52歳でイヴォンヌ・ロリオ(ピアニスト)と結婚し、新婚旅行を兼ね渡日しています。才能ある彼女の
助けを借りて、日本の山奥で幾種もの鳥の声をすべて譜に落として作った作品のひとつが鳥のカタログ(PCM1)です。
めったにお目にかかれないオペラ、アッシジの聖フランチェスコ(70)。「70歳にもなるのだから、少々無茶なこと
をしても良いだろう」と、作曲・製本に計8年、リハーサルに半年(普通長くても1カ月)をかけ、パリのオペラ座で小
澤征爾指揮により1983年に初演され話題を呼びました。
各種評論
世界各地のプレスからの評論の一部です。
“not only harmony and power of voice but also the acting was pleasant and convinced.”
“a rich and alluring voic”
Operatalent.com's feature, 2004
“one of two notable scenes was the flower duet with imposing voices”
Suzuki (Madama Butterfly)
Alex Mikert, EZ-Redakteur Newspaper, 2005
“Distinguished Musician Award”
Awarded the “Bellini”
International Voice Competition-IBLA Grand Prize 2003
“the notable mezzo-soprano”
Weber's g minor Mass in Bromley
Robert Matthew-walker, Musical Opinions, 2001
“the world of opera will be seeing a very great deal more of her in the future”
Carmen in Chelmsford, 1999
Ray Jeffery (Director/Choreographer)
“a sound investment in the health of the musical world at an international level for the first quarter of 21st century”
Koanga at Summer Music Summer School, 1996
Robin Bowman (Head of Music Studies at GSMD)
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